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寄木細工は、静岡が発祥かもしれない

寄木細工 クラフトえいと

前回まで、寄木の作り方や小田原と寄木の関係などをお聞きしていました。(第一回はこちら

今回は、寄木細工と、世界のこと。

そして、これからの寄木細工について。


コスナ 海外にも、寄木細工と同じようなものがあるんですか。

露木さん 何万点もの寄木細工を所蔵されている考古学の先生がいまして。

先生のコレクションのなかには、

スペインやイタリアなど、ヨーロッパ大陸で手に入れられた、寄木によく似た工芸品などが見受けられます。

そして、このような技術を持った人がアメリカにも渡ったようで、こちらでも同じものが見られます。

コスナ そうなんですか。初めて知りました。

寄木細工 クラフトえいと

露木さん 箱根の寄木というのは、大きなタネ、これは先述(第一回連載内)の、木材を組み合わせた塊のことですが、

これを薄くスライスして貼る、という伝統技術です。これは箱根独自のものです。

海外のものは、さすがに、まったく同じものではありません。

しかし、色のちがう木材を組み合わせて模様を作ったもの、という共通項があるんですね。

コスナ 人間の考えつくものというのは、大陸が変わっても似たものになるですね。

箱根の寄木細工、あれは、どのくらい薄くスライスされるのですか。

露木さん o.1mmとかですね。

小砂恵三

コスナ すごい! 昔は人の手で削っていたんですよね。

露木さん ええ、カンナで。刃の出し具合などを自分の指の感覚だけを頼りに調整していました。

今は機械で削り出すのが主流です。それでも、やはり失敗もあるんです。

ただ、こういう効率的に制作できる下地があるので、

昔よりも複雑な機構の寄木を制作される人も増えてきましたね。

コスナ 開けるのに謎解きの要素のある、秘密箱のような。

露木さん そうです。

コスナ ちょっと気になっていたのですが、秘密箱って、どうして作られたんでしょう。

露木さん あれは、タンスがもとになっているんです。

昔はお金を自宅に保管している人も多く。

隠し場所なんてそんなにありませんから、カラクリタンスというものにしまっていました。

これは、開け方を知っている人しか開けられないようになっていて。

2段目の棚を数センチずらさないと、その下段が開かない、とかね。

いくつもの手順を踏んで、ようやく目的の引き出しにたどりつく。

そこから派生して、小物でも作ってみようとしたのが始まりでしょう。

コスナ おもしろい品ですよね。実際、なかなか開けられなかったり…。

寄木細工 クラフトえいと

露木さん 秘密箱は、海外でも人気なんですよ。

昭和20〜30年代には、よく輸出されていました。

作っても作っても間に合わないほどで。

そういう意味では、この業界も輸出で大きくなったという一面があります。

コスナ これからの外国人観光客の増加に合わせて市場がにぎわう可能性がありますね。

いまお話にでてきた製造についてなのですが。

たとえば新人の方が、これから寄木細工を学ぼうと考えたときに、

一人前と呼ばれるようになるにはどの程度の時間が必要になるんでしょうか。

露木さん そうですね−。最低でも5年は必要でしょう。

5年でもまだまだであることがほとんどでしょうが。

コスナ なるほど。

露木さん 今は機械での加工がメインなので、たとえば5年という期間で習熟した後、

独立するとなれば、機械を用意して、土地や建物を準備して、と、

1,000万円くらいは必要になります。

コスナ そうか、機械設備への投資が大きいんですね。

露木さん かなりの負担です。いちおう、神奈川県が小田原市の久野に工芸技術所というのを設置しています。

ここには機械が整備されていて、若手の人が機械を借りながら実際に寄木を製作したりしています。

コスナ そういう施設があるのはいいですね。

露木さん そうですね、ただずっと借りられる訳ではないし、たとえばここがなくなってしまったら、

新たに自分で施設を準備するのは難しいですね。

コスナ 実際に製作をおこなう若手の人というのは、やはり伝統技術を学びたいという意欲がある人なのでしょうか。

露木さん 多くは美術大学の出身であるようです。大学でも同じようなモノ創りを専攻していた、という人がほとんどですね。

なかには、後継者の問題で廃業された商店の工場を借りて製作をおこなう方もいるようですよ。

コスナ 廃業されたことを抜けば、それはいいことですね。機械も使用しなければダメになってしまいますものね。

露木さん いいマッチングができていれば、いいですよね。居抜きの店舗を借りるような感じでしょうか。

ただ、食べていけるかというのはむずかしいところですね。

コスナ やはり売り上げの問題で。

寄木細工 クラフトえいと

露木さん そうです。日本人のライフスタイルは一昔前からは大きく代わり、

洋風で安価で、シンプルなものを求めるようになりました。

あまりお土産ものというか、和風のものは好まれないんですね。

正直言って、日本の伝統的な技術や製品については、海外の人のほうが詳しいこともあります。

コスナ これはよく聞く話でもありますね。今の日本は、あまり足下を大事にしないというか…。

露木さん なかなか、日本のことを海外の人に説明できる日本人も少なくなってきました。

特に寄木のような伝統技術は、地元の人であっても、観光客に成り立ちなどの知識について聞かれても答えられないでしょう。

そういう背景もあって、最盛期に比べれば職人の数も大きく減っているんですね。

売り上げで言えば、昭和30年代から3分の1くらいになっていると思います。

コスナ 大幅な減少ですね。

寄木細工 クラフトえいと

露木さん 戦時中なんかも需要があったほどだったんですが。

面白いエピソードがあって、当時は作ってもすぐに売れてしまうので、

とにかくたくさん製造しなければいけなかった。

しかし、戦争をしているので、日中は電気がこないんです。夜しかこない。

だから、暗くなったら機械の前で待つんです。

そうして、しばらくすると電気がくるので、

機械が動くうちに急いで制作するということもあったようです。

コスナ 大忙しな上に、大変な時代ですね。

露木さん 戦後復興を支えた輸出物の1つでしたから。

コスナ 戦時中に技術を絶やさなかったというのは、これは大変な努力と意志の賜物ですね。

職人の方たちこそ、食うや食わずという状況の中で。

露木さん その通りです。戦争で寄木がなくならなかったのは、

職人が、それこそ血のにじむような努力をしたからです。

 

コスナ 寄木細工の歴史は、たしか約200年ほどですよね。

寄木細工 クラフトえいと

露木さん ええ、そのくらいと言われています。

箱根が発祥である、という説が有名ですが、

実は静岡発祥では、という説もあるんです。

コスナ 静岡で!

露木さん 徳川家が静岡に東照宮を創りましたよね。

なにせ国家事業のようなものですから、このとき、全国から一斉に職人を呼び寄せたそうです。

この人たちは当時の日本を代表する技術者ばかりで。

創るモノの発想などもすごかった。

その中で、寄木の原型となるものが造られて、箱根を越えて神奈川、当時は相模の国に入ったのでは、

とのことです。

コスナ そうなんですか、初めて聞きました。

露木さん 静岡にも、大きな家具に寄木を貼ったものがあるんです。

静岡というのは、昔から大きなものを造るのが得意な土地柄で。

一方、箱根で取り扱う寄木細工は、小さな細工ものです。手のひらサイズなどが多い。

これは、箱根から、まさかお土産として大きな寄木のタンスなどを持ち帰る訳にはいきませんから、

小さいものに変えて、運びやすいものへしました。

寄木細工 クラフトえいと

コスナ ああ! だから秘密箱は、カラクリタンスの小さいもの!

露木さん そうです。いろいろ考えてみるとね。

ただ、現在で言えば、これもまた好事家のコレクターズアイテムとなっています。

そうすると、職人が安定して食べていけるほど売れる訳ではない。

だから、購買者のニーズに合ったものを制作していかなければ、

技術は途絶えてしまうかもしれません。

コスナ 販路の問題もありますよね。徐々に消費者の購買活動の導線も変わっています。

露木さん その通りです。今後の若手の人たちの課題でもあると思います。

コスナ ちがった目線が必要ですね。これまで寄木細工のことを知っていても、

手にとったことのない人への普及をすすめていく。

露木さん ほんとは、こういう伝統技術に関してはある程度の行政からのバックアップが必要なんですが。

コスナ 現状、どの程度援助があるのでしょうか。

露木さん ほとんどありません。さきほどお話に出た工芸技術所を置いているというのはありますが、

個別の商店にはなにもありません。

コスナ そうなんですか。神奈川を代表する技術ですから、

てっきり技術継承につながる支援などがあるのかと思っていました。

寄木細工 クラフトえいと

露木さん あまり大事にはされていませんね。

コスナ これは問題ですね。職人の方が腕を磨くことに集中できる環境を整えるのは、

伝統技術の分野においては行政のバックアップがなければ難しい部分もありますよね。

露木さん 技術を残す、というのは、販路、売り上げの確保も大切です。

製作費を出して欲しいという訳ではありませんが、販路拡大のための情報発信であったり、

この部分に関しては、なにがしかの支援をいただければいいなあ、と思うところもありますね。

新しいものを考えて、創る、というのはそれだけで大変な出費と時間がかかります。

これが、現状は職人の資本と技術と時間と、合わせて情報発信力を持って、

というのは、かなり難しい。

もっと簡単に、たくさん作れるものならいいんですが、寄木はそういう訳にもいかない。

伝統産業を残すために、なにがしかの形で行政と協力していければと考えているんですけどね。

コスナ 技術の成果や内容を発信するような媒体や場所を、なにかの形で共同で運営したりできればいいんですが。

露木さん 今後の大きな課題です。どうしても、行政は小さいものを大切にできないようなところがありますから。

ただ、自分自身でSNSなどの情報発信力を持つ若い世代であれば、

新しいインスピレーションと発想次第で、まだまだなにかができる土壌がある、と言えると思います。

コスナ 伝統を新たに発展させる可能性ですね。

進出する分野によっては、後発の参入が厳しいこともあります。

そういう意味でも、まだまだ開拓の余剰があると捉えることは、

ビジネスという意味においても可能性を感じることですね。

本日は、お忙しい中、貴重なお話をありがとうございました。

 

露木さんのお話しするように、東京オリンピック開催時、またその後に、増加が想定される外国人観光客の方たちに、私たちはどの程度日本のことを説明できるでしょうか。

まして、地元の伝統技術について、成り立ちや歴史を解説できる人はどの程度いるのか。

そして、これらを守っていくために、どのような行動がとれるのか。

行政に頼ることができないのであれば、私たちが、いつ、どのように動くのかこそ、古くから伝わる日本の技術を未来に残すために必要なことです。

コスナブログでも、伝統技術を次の世代にどのように残していくのか、追いかけ続けていきます。

第1回はこちら