
倉庫を整理していると、思いがけない物が出てくることがあります。
先日、お客様が持ってきてくださった4本のロードバイクボトルも、そんな出来事のひとつでした。
そのボトルを見たとき、コスナサイクルがスポーツバイクを扱い始めた頃の記憶がよみがえりました。
今思えば、その4本のボトルは、コスナサイクルがスポーツバイクの世界へ足を踏み入れた頃の記憶を静かに呼び戻してくれる、小さなきっかけだったのかもしれません。

先日、お客様がお店に立ち寄ってくださいました。
その際、「倉庫を整理していたら、懐かしいロードバイクのボトルが出てきたんですよ」と声をかけてくださいました。
興味のあるお客様がいたら譲っても良いとのことで、お店に置いていってくださったのが4本のボトルでした。
テーブルの上に並べてみると、isostar、Europcar、Blanco、そして909th Air Refuelingのボトルでした。
どれもロードレースの世界を感じさせるデザインです。
今のボトルとは少し形や質感も違います。
その4本を見た瞬間、スポーツバイクという世界を知り始めた頃の記憶がよみがえりました。
そして、その世界を教えてくれた一人のお客様のことも。
私がコスナサイクルの仕事に戻ってきたのは21歳の頃でした。
高校卒業後、私は宮田工業株式会社(現在は、ミヤタサイクル(株))に入社しました。
当時の自転車製造は国内生産が中心で、多くのミヤタ自転車は神奈川県茅ヶ崎市の本社工場で製造されていました。
研修プログラムの一環として、私は製造ライン部門も経験させていただきました。
自転車が一本ずつ完成していく工程を現場で見ながら、製造の現場で大切にされている考え方を学びました。
ラインの現場では効率と正確さが求められます。
一台一台を確実に仕上げる姿勢は、この時期に身についた大切な経験です。
その後、サービスセンターへ配属されました。
そこではクレーム対応や修理、ホイール組みなどを担当しました。
自転車店から送られてくる修理依頼の中には難しいものも多くありました。
原因を見つけること。
同じトラブルを防ぐ方法を考えること。
そうした経験を現場で学びました。
その後、営業所勤務を経験し、さらにデパート内の自転車店で店長を務めたあと、家業のコスナサイクルへ戻りました。
サービスセンターで特に印象に残っているのはホイール組みでした。
当時、ホイール組みを担当していたベテラン社員の方がいました。
私はその方の横で作業を見ながら、一つ一つの手順を覚えていきました。
スポークの張り方。
振れ取りの感覚。
テンションのバランス。
それらは単なる作業ではなく、感覚の積み重ねでした。
その時に教わった考え方は今でもホイールを組むときの基本になっています。
長い時間が経っても体が覚えている技術があります。
ホイール組みはまさにその一つです。
当時の製造現場で感じたことについては、こちらの記事でも触れています。
▶製造業の経験から分かる、パートタイム従業員の方たちを雇い止め続けて訪れる未来
家業に戻った当時、コスナサイクルは一般車が中心の店でした。
通学用や買い物用の自転車が主な商品でした。
ロードバイクという言葉も今ほど一般的ではありませんでした。
当時はロードレーサーと呼ばれることが多い時代でした。
私は少しずつその世界に興味を持ち始めました。
カタログを読み、雑誌を探し、部品の違いを覚えていきました。
店としても少しずつスポーツバイクを扱うようになっていきました。
1987年、パナソニックから新しい仕組みが始まりました。
パナソニック・オーダー・システム(Panasonic Order System)、通称POSです。
フレームサイズやカラーを注文できるオーダーシステムは当時としては画期的でした。
スポーツバイクを自分に合わせて作るという考え方が少しずつ広がりました。
その後、1990年から1992年にかけてパナソニックはオランダのプロチーム「Panasonic-Sportlife」にフレームを供給し、ツール・ド・フランスでステージ優勝を飾るなど、その技術力の高さを世界に示しました。
この頃から当店でもスポーツバイクの相談が増えていきました。
コスナサイクルが本格的にスポーツバイクを扱い始めたのもこの頃でした。
その頃に出会ったのが、今回ボトルをくださったA様でした。
A様はすでに複数のロードバイクを所有されていました。
COLNAGO(コルナゴ)、Cinelli(チネリ)、Bianchi(ビアンキ)、そして国産ハンドメイドフレームのVOGUE(ヴォーグ)など、さまざまなブランドの自転車でした。
私はまだロードバイクについて勉強している途中でした。
A様はそれを知り、フレームの組み替え作業などをよく依頼してくださいました。
パーツ交換。
コンポーネントの組み換え。
ポジションの調整。
作業を重ねる中で、私はロードバイクの構造や整備について多くのことを学びました。
今振り返ると、技術を学ぶ機会を与えてくださっていたのだと思います。
A様は整備だけでなく、自転車の楽しみ方も教えてくださいました。
A様を通して知り合ったお客様たちと、サイクリングへ行くようになりました。
それまで私は、自転車を販売と修理の対象として見ることが多かったと思います。
しかし実際に走るようになると、見える景色が変わりました。
走る道。
休憩する場所。
補給のタイミング。
それらすべてが自転車の楽しみ方の一部でした。

私がサンフランシスコに滞在していたのは、1990年6月から8月までの約2ヶ月間でした。
当時のアメリカ西海岸ではマウンテンバイク文化が急速に広がり始めており、ベイエリアはその中心地の一つでもありました。ロードバイク文化と新しいマウンテンバイク文化が交差していた時代でもあります。
滞在先はサンフランシスコ湾の対岸にある Emeryville(エメリービル) でした。
当時はスマートフォンなどありません。
地図と日本で入手したサンフランシスコ近郊のショップリストの店名と住所を頼りに街を移動しました。
当時サンフランシスコで購入して乗っていたのは、ブリヂストンのマウンテンバイク MB-3 でした。
Ritchey Logicチューブを採用したモデルで、当時のアメリカのマウンテンバイク文化を象徴するような一台でした。

滞在していたEmeryville(エメリービル)から Berkeley(バークレー)までは、MB-3で通う日々でした。
カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)のメイン通りにあった日本人経営の自転車店 「Jitensha Studio」 さんにも、滞在中はほぼ毎日のように通っていました。
「Jitensha Studio」さんは、当時日本人サイクリストがアメリカの自転車文化に触れる入口のような存在としても知られており、ベイエリアのサイクリストが集まる場所でもありました。
ベイエリアではBART(バート)をよく利用しました。正式名称はBay Area Rapid Transit(ベイエリア高速鉄道)で、「BART」はその頭文字です。
当時は先頭車両に自転車をそのまま載せることができたため、自転車と一緒に列車で移動しながらベイエリア各地を回ることができました。
サンフランシスコでは多くのショップに刺激を受けましたが、このとき購入した洋楽CD2枚が今でも忘れられない思い出として残っています。
▶35年前、旅先のアメリカで出会った音楽と感性──自転車整備士が心を動かされた2枚のCDの記憶
帰国後には、バークレーの自転車店「Jitensha Studio」さんを通じて、BS(ブリヂストン自転車)MB-1モデルを逆輸入で取り寄せる機会もありました。
このMB-1との再会については、以前の記事でも紹介しています。
▶約27年前アメリカから逆輸入したBSマウンテンバイクMB-1との再会!

当時、Berkeley(バークレー)の「Jitensha Studio」さんからいただいたブリヂストンの海外向けカタログは、今でも手元に残っています。
表紙にはブリヂストンのBSマークが散りばめられ、下部に「Vol.10」とだけ記されたアメリカ向けカタログでした。

当時の海外向けカタログには、Jitensha Studioのオーナーや、パイナップルボブの名前で知られていたスタッフの方たちが一緒に走っている写真も掲載されていました。
カタログの中には、次のような印象的なコピーも掲載されていました。
“WHERE HAVE ALL THE ROAD BIKES GONE?”
(ロードバイクはどこへ行ってしまったのか?)
これは、当時アメリカで急速に広がっていたマウンテンバイク文化の時代背景を象徴する言葉だったように思います。

カタログの裏表紙には、バークレーの自転車店 「Jitensha Studio」 のスタンプも押されており、当時の思い出を今でも鮮明に思い出させてくれます。
帰国後、日本でもマウンテンバイクが少しずつ知られるようになりました。
当店でもその話題を耳にする機会が増えていきました。
A様やお客様たちと一緒に走りに行くこともありました。
ロードバイクでは、小田原から湘南方面へ向かい江の島まで走ることもありました。
マウンテンバイクでは、地元の足柄幹線道路(久野林道)や明神林道、明星林道、そして箱根周辺を走ったことを覚えています。
舗装されていない道を走る体験は、ロードバイクとはまた違う楽しさがありました。
ある時、箱根の山を走ったことがありました。
登りは長く簡単ではありませんでした。
ペダルを回しながらただ前へ進みます。
その途中でA様がこんな言葉をかけてくれました。
「自転車で山を登るのは大変だけれど、その先にある景色はいいものだよ。」
頂上に着いたとき、確かに景色が広がっていました。
その景色は今でもはっきり覚えています。
A様から教わった言葉の中で、今でも印象に残っているものがあります。
「ロードバイクには文化がある」という言葉です。
例えばイタリア製のフレームにイタリア・コンポーネントパーツブランドCampagnolo(カンパニョーロ)のパーツを組み合わせる自転車です。
そこには機能だけではない雰囲気があります。
日本のシマノは、世界的に高い技術力を持つメーカーです。
性能という点では非常に高い完成度があります。
それでもA様は文化という言葉を使いました。
その言葉を聞いたとき、自転車の世界の奥行きを少し理解した気がしました。
当時のロードバイクボトルには、その時代のロードレース文化やスポーツバイクの歴史が自然と刻まれているように感じます。

そうした記憶を思い出していると、ふとテーブルの上のボトルに目が戻りました。
今回いただいた4本のボトル。
それは単なる自転車用品ではありませんでした。
そのボトルを見た瞬間、昔の出来事が次々と思い出されました。
スポーツバイクを知り始めた頃のこと。
山を走った日のこと。
サンフランシスコで自転車に乗って街を巡ったこと。
そして、ロードバイクの文化を教えてくれたA様のことです。
物には記憶を呼び起こす力があるのかもしれません。
今回お店に持ってきていただいた4本のロードバイクボトルについては、それぞれに興味深い背景があります。
その詳しい内容については、また別の記事で紹介してみたいと思います。
A様とは今でも時々お会いします。
お店に立ち寄ってくださることもあります。
振り返ると本当に多くのことを教えていただきました。
ロードバイクの技術。
スポーツバイクの楽しみ方。
山を走るときのマナー。
そして自転車文化という考え方です。
コスナサイクルのスポーツバイク文化は、こうしたお客様との出会いの中で育てていただいたものだと感じています。
倉庫から出てきた4本のロードバイクボトル。
それは、コスナサイクルがスポーツバイクの世界と出会った頃の記憶を、静かに思い出させてくれる小さなタイムカプセルのような存在なのかもしれません。
